『勝手にふるえてろ』は、2017年・第30回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品され、観客賞を受賞した話題作。原作は芥川賞作家・綿矢りさの同名小説。松岡茉優の映画初主演作でもあり、彼女はイチとニの二人の男性の間で揺れ動きながら暴走するコメディエンヌぶりを大いに発揮しています。本作について、内海陽子とオライカート昌子の二人で対談を行いました。

松岡茉優は頭がいい

オライカート:明るくてポップな人生応援賛歌映画ですよね。

内海:この映画について私が肝心だと思うのは、松岡茉優さんという女優です。彼女がキーですよね。こういう話は場合によっては嫌な女の子の話になるでしょ。作りが安っぽくなったり、変に深刻になったり、くどくなりかねない映画なのに、あなたがおっしゃるように明るくポップな感じになったのは、主人公を演じた女優さんの力が大きいですね。

映画は脚本が一番大事、とよくいいますが、体で表現する人が勘違いしていたり、ミスったり、運動神経が鈍かったりしたら、どんなすばらしい構想を描いていたとしても、面白い映画は成立しない。『勝手にふるえてろ』を応援する一番の理由は、松岡茉優という女優の頭がいいという一言に尽きる。彼女が賢いから、設定の飲み込みもいいだろうし、要求されることにすぐに応えられる。彼女の中から湧き上がってくるものと、役柄を見事にシンクロさせている。

そういうのが映画から伝わってくる。それが安心感を与えてくれる。あなたは観客を元気にさせるというけれど、元気というよりは安心感。映画そのものの安心感。それはヒロインを演じる人の力で、松岡茉優はものすごい重責を担ったと思うけれど、それを完璧にやりこなしていることに感動しました。ところで、松岡茉優さんは、ご存じでしたか?

オライカート:いえ。

内海:わたしが初めて彼女の名前を覚えたのは、『桐島、部活やめるってよ』(2012)です。感じの悪い美少女チームの二番手を演じていました。桐島君の恋人でわかりやすい美人を山本美月さんという女優がやっていて、彼女にぴったりくっついている、小意地の悪い娘。桐島君は出てこない映画で、桐島君の一番の親友の恋人役でした。まあなんとも小憎らしいというか、若くてかわいいけれど、すでにおばさんという感じ。小意地の悪いおばさん。時々意地悪そうに顔がゆがむのね、その上手さときたら、びっくりしてしまいました。

その後、ドラマの主役でも見かけました。肉体的な感覚もいいし、頭がよくて嫌味がない。頭がいいということはコメディセンスもありますから。この映画は、明るい映画というよりは、コメディになっているところが、素晴らしい。日本映画で暗い設定でコメディになるというのは画期的ですよ。なかなかないんです。

バカな話ではない。深刻な話なのに、見ていると滑稽でしょ。そして本人も自分の滑稽さをわかっていて、そういう重層的な演技をしている。そして「どうだ」と観客に負担を強いる映画ではない。監督とヒロインの関係が上手くいったんではないかと思いますね。

ブリジット・ジョーンズやジェイン・オースティンに通じる人生の時期


オライカート;
勢いを感じますよね。松岡さんはずっと出ずっぱりのなか、本当に短い時間で撮影したようで、その疾走感を感じます。活きのいい映画ですね。誰が見ても自分に当てはまる部分を感じるのでは。

内海:誰が見てもという言葉を使うと、映画がぼやけちゃうわよ。あてはまる範囲を広くしてもあんまり意味がないわ。新聞や週刊誌でよく使うけれど。

オライカート:私が見ても当てはまる部分があると感じるって言い直します。

内海:非常に知能指数が高くてとんがっていて思い込みが強い女の子の、十数年のひとり相撲物語でしょ。そんなに一般的な話ではないですよ。

オライカート:個人差はあるにしても、20歳から30前くらいの10年間って、私はそうなんだけど、岐路がいくつもあって、人と比べたりもしたり、これでいいのかなって悩んだり、今まで信じていたことにいろいろ疑いを持ってきたりする時期でもあると思うんです。それまではレールに乗ってきて、仕事を探したり受験したり結婚に向かったりとか、レールから降りるわけではないけれど、この先どうなるんだろうという先行き不安を感じる時期だと思います。それを描いていて、すごく伝わってきました。痛いけれどやり過ごさなくてはならない時期として。

内海:私の場合は、35歳くらいまでずっと不安でした。世の中がわからなくて、気持ちが不安定でした。そういうこととは別に、彼女の場合は思い込みが強いんです。その思い込みの強さが物語の中で客体化されている。大九明子監督は、そのある時期を大人の目で切り取って見せている。それが見る人に安心感を与えています。主人公の彼女は思春期から抜け出せない、思春期の傷をずっと引きずっていますからね。特殊な子ですよ、もっと簡単に乗り越えてひょいひょいと抜け出せる子もいる。

オライカート:私はいないと思う。人から見たら越えているように見えるかもしれないですけどね。この映画を見て、似た世界を描いた映画ってあったかなと考えてみたら、『ブリジット・ジョーンズの日記』ですね。ブリジット・ジョーンズは、もともとはジェーン・オースティンの小説世界を基にしています。つまり、200年前の女性や、20年前の女性、そして今の女性と抱えているものは似ているんだなって思いました。子供を生むか生まないかなど、女性にはタイムリミットもありますしね。そういう意味でこの映画は私に刺さったし、好きな人は多いと思う。

相手のことを考えることが大人への第一歩

内海:恋というのは、相手がいるんだけど、若いときって相手を見ていないんだよね。自分は恋をしている、恋そのものに自分の気持ちがぐわーっと行って、相手のことは実は考えていない。それは女の子の観念というか、典型的なものです。男の子は聞くところによると、生理的な現象があって、もっとフィジカルな問題が発生するわけだけれど、女の子はものすごく性欲がでるというわけでもないから。ヒロインの非常に頭でっかちな、好きだーっていう感覚がおかしいよね。

オライカート:実はそのパートは、私は伝わらなかったんです。彼女はイチ君をずっと好きで思い続けていました、というわりには、言葉を交わしたのは二回だけ。それを置いておいて、アンモナイトとか、日々のこまごまとした生活がメインになっているわけです。一応、自分の安心のために、自分にはずっと思っている人がいるということで、自分をガードしている。やがて現れる外敵から自分を守るために。つまり傷つきたくない。だから、恋心自体はあまり伝わってこなかった。伝わりました?

内海;わたしはあの感じはわかる。とってもよくわかる。恋に恋するというのとはまた違うんだけど、「あの人が好き」とずっと思い込むことで自分を支える。やっぱり好きなんですよ。彼が好きということを、できることなら現実化したい、彼の恋人になりたいという気持ちがずっとあるわけで。

オライカート:自分は恋だと思い込んでいても、人から見たら、それは恋じゃないよっていう場合もあるし。

内海:だからこそ恋なのよ。この人にとらわれている。そして自分を守っている。うまく成長できれば、相手は自分に何を求めていて、自分は相手のために何が出来るかということを考え出して、ようやく大人への第一歩かなって気がするんですけど。彼女の前に現れたニ君は、最初から彼女のために何かをしたい、したいと思っている人なんだよね。それが見ていていいのよね。役者さんはちょっと微妙なんだけど。

オライカート:だんだんかっこよくなってくる。

内海:最後なんてすごいですよね。もうちょっと普通に演じてもいいかなって思いますけど(笑)。

オライカート:うざいって感じですよね。彼も自分を客観視できないから、自分の思いで突き進んでいくだけ。自分がどう見えるかなんて考えない、それだけ彼女が好きだから。一途で、それはそれで美しいんですが。

内海:彼女のほうは余裕があるし、ニ君のことにさほど興味もないから、彼を冷ややかな目で見ている。初めのうち、うざい男に見えるのは、映画的にはちょうどいい。

オライカート:本当にうざいんですけど、いい男だったら、初めから彼に行かなきゃ変ですものね。

欲望のズレがおもしろい

内海:監督は彼をもう少しボーっとした感じで、やらせすぎないようにしたかったみたいですね。

オライカート:そうなんですか。

内海:きっとがんばるタイプの役者さんなんでしょうね。ちょっとやりすぎているような、うざい男を演じすぎている気がしないでもない。

オライカート:はじめに出てきたときや、二回目、三回目に出てきたときに、そんな大事な役割を担っているとは思ってなくて、つまり、周囲にいるうるさい外野みたいな感じ。彼が大事な役だとわかってくるのはかなり後。「えーっ? 大事な役だったの?」という驚きがありました、そのあたりの企みが面白かったです。うまいなあ、のせられちゃったなって。それから会話もね、最初の方で彼女が交わす会話も、変じゃないですか。途中でミュージカルにもなるし。最初はそういう違和感が飛び交っていて、それが最後には落ち着くという。面白いなあって思いました。

内海:観念で好きな人と、現実レベルで好きな人と、ピンとこないままに彼女はだんだん彼の愛情に甘えて、次第に腹をくくっていく。そのときにはもうカップルとしてスタートしているのよね。なんともいじらしいことに、お弁当を作ったりするじゃない? あのへんが私は面白かった。「わたしたちもう付き合っているの?」って自問自答したのが口に出ちゃって、それを彼が「付き合っている」と受け取って、ズレが生じる。欲望のズレかもしれないですが。その後、彼が悩むところで、彼がかわいそうに思えてくる。そして彼が二枚目に見える。そのへんが映画ならではですね。

オライカート:ラブコメ的ですよね。

内海:女性が主導するラブコメね。

オライカート:日本のラブコメだと、漫画原作の、現実的じゃない浮いた話が多いけれど、この映画は、そういうのとはちょっと違う。恋愛もあるけれど、彼女の中で起きていることもかなりの比重を持って描かれている。成長や、人をどう受け入れるか、外部とどう付き合うかなどです。映画っていうのは、総合芸術だからこそ、すべてのところが上手くはまらないといい映画とは言えないんだなと改めて思いました。

内海:それは大九明子監督の手柄ですよね。現場で手作りして、すべてをジャッジし決断していくのが監督だから。わたしは松岡茉優の手柄だと思っていたけれど、松岡さんを知らなかったあなたが、この映画に感動したというなら、監督の手柄以外のなにものでもない。両方向からこの映画の具体的な良さがはっきりしたと思う。

今年の初めに、荻上直子監督『彼らが本気で編むときは、』について話しましたが、女性監督の多様性もはっきり見えてきましたよね。みなさん、違う個性や思想を持ち、それぞれの主張があって、どんどん面白くなってきましたね。『勝手にふるえてろ』は12月公開なので、今年の多くの映画賞の対象にはならないですが、2018年の監督賞や主演女優賞候補として話題になるのではないかと思います。

内海陽子オライカート昌子

勝手に震えてろ
(c)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会
12/23(土・祝)、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋ほか全国ロードショー
監督:大九明子
原作:綿矢りさ
脚本:大九明子
キャスト:松岡茉優
     渡辺大知 石橋杏奈 北村匠海
     古舘寛治 片桐はいり
配給:ファントム・フィルム
2017年/日本映画/117分/恋愛・コメディ
公式サイト http://furuetero-movie.com/