『エクス・マキナ』映画レビュー

(C)Universal Pictures
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 ある日、大手IT企業で働く男が社長宅に招待を受ける。男は、人っこ一人いない広大な山岳地帯を社のヘリコプターで移動中、操縦士に尋ねる。「まだ遠いの?」。操縦士いわく、「もう2時間も前から社長宅の敷地だよ」。ヘリコプターを下ろされ指示された通り森の中を進むとすでに手持ちのケータイ電話は圏外を表示している。ようやくの思いで社長宅にたどり着き安堵している男に社長は、「これから数日間、ここで見たり体験したことは絶対他言してはいけない!」と、一枚の契約書にサインを迫るのだった。

 これが、評判のイギリス映画『エクス・マキナ』の冒頭8分間である。上映時間108分、、、残りの100分で、男は天才プログラマーである社長が造り上げた女性型人工知能ロボットと対峙していくこととなる。『エクス・マキナ』は、近年稀にみる見事なスリラー映画であった。

 ロボットというコトバは、チェコスロバキア(現チェコ)の小説家チャペックが発表した戯曲に初めて登場した。時は1920年。ロボットの語源はチェコ語で「強制労働」を意味するらしい。はたしてこれ以降わずか100年の間にロボットは怪力だけでなく、ずば抜けた知能をも兼ね備えて、我々人間に近づいてきていることは周知の事実。いやいや、パワーだけでなく、その知能はすでに人間を超越している。

 たとえば膨大な対戦データを自ら分析できる人工知能は、人間とのチェス対決で百戦錬磨だ。身近なケースでは養護施設をはじめとする一般家庭でも検索エンジンを搭載した安価な会話ロボットが活躍している。街ゆく人たちを眺めていても、わからないことは今や皆がスマホに向かって質問しているじゃないか。人工知能はほんの数秒で答えてくれるし、選択肢がある場合にはその中からベストアンサーを選んで教えてくれるのだから恐れ入る。こうして検索回路にどんどんデータが蓄積されて、人間の趣味嗜好、他人には打ち明けられない悩みまでもが事細かに分類、分析されていく。こりゃ便利! と使っていたつもりが逆に弱みを握られているなんて皮肉というよりそら恐ろしい時代になりつつある。

 映画『エクス・マキナ』は、美人オスカー女優アリシア・ヴィキャンデル扮する人工頭脳ロボットの思考レベルをテストするよう、人里離れた研究室に幽閉された一人の男の話である。エヴァと名付けられた美しいロボットは顔と手足の一部のみが人工皮膚で覆われ、残りは機械が透けて見える姿をしている。始めの内はそれぞれ探り合いの会話が続くが、二、三日経つにつれ、男はエヴァに恋心を抱くようになる。「愛しているのか」、「愛されているのか」、はたまた、エヴァというロボットに「愛されているふりをされているのか」・・・。そんな折、男はエヴァからとんでもない提案をされることになる。

 いまの時代、新聞、雑誌、テレビに至るまで様々なテーマで「人工頭脳」報道は盛んだ。「株式や債券を過去のデータに照らし合わせて、人工知能が自動的に運営していくファンド登場」、「亡き愛犬、愛猫のDNAを基に記憶から癖までそのままが甦る人工ペット実験」から、「ロボットや人工知能の台頭により、今後5年で500万人が失業」などなど、日進月歩で進化を続ける人工知能には脅威ではなく、もはや恐怖を感じる。

 手軽なしもべ、身代わり、便利なヤツとして今は重宝されている人工知能だが、あっという間に人間との立場が逆転する日が近づいているに違いない。こんな思いを感じさせてくれる映画『エクス・マキナ』。この『エクス・マキナ』の恐怖は、同日(6月11日)公開のドキュメンタリー『シチズンフォー スノーデンの暴露』(ギャガ・プラス配給)とセットで見るとまんざら絵空事ではないなと震えていただけるだろう。近代国家は、一般市民の電話やメールなど、あらゆる通信データを秘密裡に収集、分析していると内部告発した後者はノンフィクションとして受け入れざるをえないが、『エクス・マキナ』はどうか。エンターテインメント映画のひとつとして、あなたは見れるだろうか。

(武茂孝志)

エクス・マキナ
2016/6/11(土)より、シネクイント他にて全国ロードショー
出演:ドーナル・グリーソン,アリシア・ヴィキャンデル,オスカー・アイザック、
ソノヤ・ミズノ
監督/脚本:アレックス・ガーランド
2015年/イギリス/英語/108分/原題:EX MACHINA
公式サイトhttp://www.exmachina-movie.jp/