裏切りのサーカス 画像
Jack English(c)2010 StudioCanal SA
裏切りのサーカスの二種類の男たちの二種類の緊張感
裏切りのサーカスには、派手なアクションもなければ、スペクタクルな大舞台もない。あるのは、地味で灰色の光景だ。時は1970年代。グラムロックや石油ショックの頃だけど、冷戦の行き止まりでもあり、暗い停滞を感じさせた時代でもあったはずだ。

重苦しく暗い空気感に包まれながら、その陰鬱な風景を見ていることが、いつしか安らかな快感に変わってくる。計算されたキメの細かさ、細部まで神経の行き届いた舞台と演出のおかげだろう。

そういえば、トーマス・アレフレッドソン監督の前作、『ぼくのエリ 200歳の少女』もそうだった。寒々しく寂しげな風景。それがスウェーデン的な世界なのかもしれない。監督こそ違うが、スウェーデンを舞台にした『ドラゴン・タトゥーの女』の光景にも似ている。

『裏切りのサーカス』は、スウェーデンではなく、イギリスの物語であり、寒々しくてもイギリス的な滋味や伝統やそこはかとない格調も匂い立つ。この映画の醍醐味としての緊張感も忘れがたい。ただ、泳いでいる。ただ、歩いている。そんな普通のシーンに、緊張感が忍び込んでいる。しかも緊張感にも二種類あって使い分けているところが凄い。

裏切りのサーカスの画像
Jack English(c)2010 StudioCanal SA
一種類の緊張感は、動きの中で表現され、次はどうなるのかハラハラ・ドキドキしてしまうもの。最初の方のブダペストの場面、そして中盤から少し過ぎたあたりの、シフト表を手に入れようとする場面など。

もう一つの緊張感は、純粋に精神的なもの。俳優の内部の演技にかかっている。もっぱら主演のゲイリー・オールドマンのシーンは全てそうだと言っていい。

面白いのは前者のスリリングさは現場工作員がもたらすもので、後者は幹部陣の演技だということ。演出的にも、命令する側と命令される側の非情な2つの世界に分かれているということか。

そしてどこまでもリアルな細部。70年代の行き止まり感を真空パックして、現代に蘇らせたような濃縮な世界観にじっくり酔いたい。

(オライカート昌子)

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4月21日(土) TOHOシネマズシャンテ、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
オフィシャルサイト http://uragiri.gaga.ne.jp/