『ホビット決戦のゆくえ』映画レビュー

『ホビット決戦のゆくえ』は、空からドラゴンのスマウグが飛来し、水に浮かんだ町に火炎を放射しまくるというスペクタクルなシーンから始まる。3dで見ると、まるで竜の背中に乗って一緒に飛んでいるような臨場感だ。スマウグ対町の人々(実際はバルドと息子の二人だが)の戦いは、甚大な被害を出しながら、バルドらの機転と実力で終結する。 だが、まだ映画のタイトル前だ。

その後、トーリン・オーケンシールドが、エレボールの宮殿跡にむかってゆっくりと足を進めたところで、ようやくタイトルが現れる。

『ホビット 決戦のゆくえ』の原題は『The Hobbit: The Battle of the Five Armies』。つまり5つの軍が激突する壮大な戦闘がメインのバトルもののはずだ。確かにバトルは見せ場のひとつだが、それ以上に強調して描かれるテーマがある。

スマウグの呪いにまんまと引っかかってしまったトーリンが、猜疑心や執着心にまみれ、自分勝手な別人になってしまう。その結果引き起こされる心の中の戦いだ。剣と槍と弓矢ではなく、武器になるのは、ビルボやドワーフたちの思いやりや忠誠心、真心だ。

第一部の『ホビット 思いがけない冒険』から始まった旅は、いろいろな人や生き物に出会い、広い世界を知り、新しい経験を重ねてきた長いものだった。ビルボは、勇気ある自分にも出会った。トーリンのように、今まで知らなかった醜い自分に出会うこともあるだろう。旅は人生の縮図でもあるのだから。

三部作を見終わってみると、友情の真髄が描かれているのだなと感嘆してしまう。友情もいろいろな形がある。ラスト近くで、ビルボとガンダルフが、二人で黙って座っているところがある。ガンダルフはパイプ草に火をつけようとするのだが、火はつかない。何度も何度もつけようとするのだが、つかない。ビルボは脇でただ座っている。二人とも、黙っているからこそ、思いが伝わるシーンである。賑やかに始まった旅だったが、終わり方は、宴の後、そのものの静けさだ。そのせいかもしれない。まるで自分が旅をしてきたように強く心に刻まれる。

(オライカート昌子)
2014年12月13日(土)全国ロードショー
ホビット 決戦のゆくえ

公式サイト http://wwws.warnerbros.co.jp/thehobbitbattleofthefivearmies/