『ヘレディタリー/継承』映画鼎談

『ヘレディタリー/継承』は、サンダンス映画祭で絶賛され、全米で話題を呼んだホラー作品。緊張感に満ちた世界観と、張り巡らせされた罠に囚われる人もいれば、その多重構造に魅せられる人も多いはず。『ヘレディタリー/継承』について、内海陽子、増田統、オライカート昌子で鼎談を行いました。

『ヘレディタリー/継承』とは

『ヘレディタリー/継承』は、アリ・アスター監督の衝撃の長編映画デビュー作。血筋を受け継がせようとする力と戦う一家の物語を緻密な構成と格調ある絵作りで描いている。出演にトニ・コレット、ガブリエル・バーン、アレックス・ウオルフ、ミリー・シャピロなど。

『ヘレディタリー/継承』あらすじ

グラハム家の祖母エレンが亡くなった。娘のアニーは、母親との関係に問題を抱えていたため複雑な気持ちであったが、葬儀は無事に終わり、夫のスティーブ、高校生の息子ピーター、13歳の娘チャーリーとの暮らしを立て直そうとする。ミニュチュアハウス作家の仕事を続けながら。しかし、家族を失った喪失感はなかなか消えなかった。

そんな折、グラハム家では、奇妙なできごとが立て続けに起こる。話し声が聞こえたり、扉が勝手に開いたり、光が部屋を横切ったり。娘のチャーリーは、異常な行動を取り始める。そしてついに最悪の出来事が起こってしまう。家族はこのまま崩壊していくのか。

『ヘレディタリー/継承』映画鼎談

注)軽いネタバレ気味表現があります。鑑賞後にお読みいただければと思います。

霊現象の正体は

内海:『ヘレディタリー/継承』は、家族と遺伝の話であると思うわ。

オライカート:そうも受け取れますね。家族と遺伝の物語を、観客を引き込むためにオカルト的な世界で描いている。

内海:ところで、『パーソナル・ショッパー』の対談では、オライカートさんは、霊現象はあるとおっしゃっていたけれど、今もそう思ってらっしゃる?

オライカート:あるかもしれないし、ないかもしれないと思っていますね。自分で見ているわけではないので、どちらでもいいという立場です。映画の表現として描いている場合は、作り手の意図として 引き込む要素としてあるので、あるからどうの、ないからどうのという議論は少し違うのではないでしょうか?

内海:議論ではなくて、要するに『ヘレディタリー/継承』は、病気の話だと思っています。ある本で読んだことがありますが、もはやエクソシスト的現象も、全て本人がやっているということが、科学的に解明されているんだって。エクソシストという仕事は、当事者救済のためにまだあるらしいんだけど。

映画で描かれた首が回るというのはともかくとして、気が変になったりするそうです。人間はそういう生き物だということ。呪いという言葉があるけど、呪いもある固定された文化の中で、お前を呪ってやる、と仕掛けられるとおかしくなることがあっても、全く違う文化や素養を持つ人には、その呪いはかからないんだって。

オライカート:それはそうでしょうね。

内海:そのくらい人間の脳は肥大化してしまっているから、なんでも見ることができる。それを不特定多数の人が認識し、共有できるものではない。一つ一つの個体がそういうものを見ている。そういうことはある。それを霊現象があると一般論として言うのは、やはりもはやナンセンス。

オライカート:無理っていうことですね。

内海:人間は見えるけど、牛や馬は見えないの? とか、そういうことになってくるでしょ。牛はあんなにいっぱい殺されて、食べられているのに、全然人間を恨まない。お化けになって出てきてもいいのに、出てこない。なんで人間だけが霊になれるの? そういうことなんですよ、単純に言えば。人間の肥大した脳が、宗教や文化の中でいろいろ刷り込まれる。そのことによって不思議な現象が起こる。『ヘレディタリー/継承』の一家の場合は、つまりは母親でしょ。

オライカート:おばあさん?

内海:その血筋である、子供二人の母親のアニー。長男を揺さぶっているわけだけど、自分を守ろうとしている。その辺が凄いなあって、とても面白かった。

オライカート:守っているつもりが、守っていなかったり。

今のアメリカ社会の現実という意味では、逆にリアリティがある

内海:私の解釈は、彼女が仕掛けていたのではないかと思います。明快であり、むやみに謎めいていないところが、私はとても気持ちよかった。

増田:むしろ私は、いろいろなほのめかしが引っかかってしまって単純に楽しめなかったです。

内海:わたしはほのめかしに乗りかかって、実はこうだろう、こうだろうと思いながら見ました。

増田:ツリーハウスの存在も思わせぶりですよね。

内海:奇妙に種明かしがあったけれど、あれはないほうがよかった。

増田:ああいう風にオチをつけてしまうと、なぁんだってなってしまうけれど、今のアメリカ社会の現実という意味では、逆にリアリティがあるのではないのかと。宗教的に人の弱みに付け込んで、洗脳して、そうだそうだと追い詰めていくわけですから。ところで、あの夫婦はどうして結びついたのかが、とても不思議だったのだけれど。

内海:夫は、ああいう病気のある人にそそられるんじゃない。 彼は精神的な疾患を研究している博士かな?

増田:まずは研究対象として接近したと?

内海:それに近いかも。そのうち愛が芽生えることもなくはない。男だし、ある意味精神的マッチョな感覚で。奥さんを支配下に置きたいということもあるだろうし。

増田:私はもしかしたら、種馬的な目的で結婚したのかもと。男の子を生むための道具というか。あの一家は、男兄弟がみんな精神的な病を抱えて自殺している。けれど、どうしても男の種は欲しい。そこから結びついたのではないかって。

内海:アニーのお母さんは解離性同一性障害、お父さんは妄想型うつ病、兄は統合失調症、アニー本人は夢遊病。ここまではっきり病名が字幕で出るのよ。

増田:夢遊病は、言い訳に思えますね。病名つけると夢遊病だけど、彼女は意思がある。今日の内海さんの話を聞いていると、そういう気がしてきました。(笑)。

多重構造を見破れるか

内海:ちょっと二重人格的な。ちょっと前までは多重人格ものが流行ったじゃない? 最近ないなって思っていたけれど、また新手の見せ方を考えてきたなって。ただし、乱暴ではないというところがありますね。作り手に余裕があるのかもしれない。

増田:緻密に計算し過ぎていて精神的に辛かった。蛇の生殺しのような感じで。もっと大雑把なほうが、自分の中で何か落としどころが見つかったかもしれません。常に神経をきりきりさせられて、なんか胃が痛くなりそうでした(笑)

内海:それはまじめに見ていたんでしょう。文化的に違うとはいえ、長男の立場を自分に置き換えて、見ていてつらい部分があったんじゃない?

私たちが見せられている絵と、物語の中で起こっていることは違うのよね。お父さんが暖炉の前にいる場面が一番わかりやすいところ。全部フェイクなのよ。お母さんの目で見たことを、わたしたちは見せられているのよ。物語の現実で起きていることと、全く違う絵なの。

オライカート:二重仕掛けなんですね。素直に見ていると、ひっかけられるという。

内海:映画というのはそういうものだから。

オライカート:それはそうなんですよね。

増田:裏の意図ですね。誰の主観で物語が綴られているのか、いつ気が付くかということ。

内海:映画というのはつまり、誰の主観か客観的によくわからないところは、おおよそフェイク。お母さんは、家の中で怪物と化している。“事故死”のところも事故死だと思いたいけれど、あれだってわかんないですよね。

オライカート:あそこが一番納得いかないところでした。どうなるかわかる。

内海:語られている内容と、現実に起きていることの間にズレがあるし、プラス、嘘をついているし。

増田:すごく古典的なスタイルですよね。

内海:私は安手のホラーをたくさん見てきたせいか、たまにはこんな手の込んだ、フェイクしまくりの映画が面白いわ。

増田:好き嫌いはともかく、それをうまく見せているなというのは感じました。

オライカート:それを聞くと、私は素直に見ていたから…。

増田:ふつうは素直に見るんですよ。

映画は自分を救い、何かを救う

オライカート:家族の崩壊の物語をホラーの形を借りて描いた。そういう意味ではホラーである必要も本当はないのではないか、ぐらいに考えていたんですけれど、今の話を聞いて、凄く怖くなってきました。

増田:でもある種の病気の家族が崩壊していく話って正攻法で作ったとしても、映画として普通は成立しないじゃないですか、それをホラーというジャンルに託したというのは、ありだと思う。

内海:普通の家族が壊れるわけじゃないの。病気なのよ、みんな。

オライカート:そうなんですけど、わかるのは最後のほう。

内海:わかったらつまらないじゃない。

増田:だからホラーに仮託して。

内海:病気があるということは、家族にとっては遺伝的な形質で残るから救いようがないという話です。

オライカート:病歴は、エクスキューズとしてさらさらっと途中でてくる。大事な伏線ではありますが。恐ろしい家族の歴史。

増田:おばあちゃんの死亡広告から始まるってこってことは、これは間違いなく死について語る映画だよ、ってことなんです。それで、なぜこの一家がこれほど死に取りつかれているのかというと、この病歴はさらっと流す伏線ではなく、家族の話として凄く重要な要素だと思う。

内海:だから明快なの。

増田:しっかり打ち出している。

内海:最初から答えは出ている。ちょろちょろごまかしながら「お楽しみいただきますよ」という映画なの。でも結構フェアで、ポイントは病気なのよ。家族と自分をダシにして、エンターテイメントに仕上げて、自己救済しているわけよ。芸術というのはそういうものなの。自分を救い、何かを救うのよ。

まず自分を救い、見てくれたお客さんに、病気はしょうがない、諦めようと思ってもらえるかもしれないし、こんなものならもっと自分を受け入れて、少しでも明るい方向へ行こう、薬を飲んで、明るい方向へ行こうと考える人もいるかもしれない。監督自身、すごくつらい目にあったらしいけど、こんなにつらい目にあったから、これだけ転んだから、ただでは起きないぞ、といってこの映画を作ったと思う。いい根性しているよね。

お客さんは引き込まれて、金縛り状態になる。

内海:映像のレベルは高いと思いますよ。私が一番嫌いなのは、むやみに音を出して脅かし、ショックを与えるタイプのオカルト映画。この映画にはそういうシーンがないんですよ。順を追っていくのよね。題材は微妙だけど、手法が工夫されているし洗練されている。映画的素養が深いと思う。騙される人には騙されていただきます。わかる方には、随所随所で指令を送りますので、キャッチしてくださいという感じがするんです。

増田:70年代のホラー映画をずいぶん見ている監督なんだなって思う。

内海:そもそも監督のコメントにA・ヒッチコック監督『サイコ』の話が出てきていますよね。この映画は『サイコ』にはすぐ結びつかないけど、恐怖の見せ方、畳み方、お客さんは引き込まれて、金縛り状態になる。映画を見る人の生理をちゃんと押さえていますね。上等だと思います。

増田:交霊術のおばさんの登場の仕方なども、いかにもいわくありげで。

内海:最初、この人はただの詐欺師だろうと思ったけれども、そういうわけでもない。

増田:ああいうおせっかいな人って、いかにもいそうじゃないですか、親切の押し売りというか、あの家の玄関マット、これも日本にはなじみの薄い習慣ですね。

内海:実在しているのかどうか。アニーの自作自演で、やはり多重人格かもしれない。

増田:交霊術のシーンでスピリチュアルな映画だと思わせる ギミックが効いています。

さっきの内海さんの話と共通するんだけど、アニーが悲劇に気づく場面も、映像の中で、一切本人の姿を映さないで、声だけで聞かせるから、一層おぞましさが伝わってくる。

内海:観客に対する信頼度が高いと思う。これは監督に力がないとできない映画。観客はバカだから、全部教えてあげないとダメだ、という映画は山ほどあるでしょ。

増田:くどくどとナレーションつけたりしてね。

内海:映像からわかるのに。ラジオドラマじゃないんだから。

増田:この映画は見せない工夫をしているんですよ。だから食いつく人は、想像力を働かせて、見ているときも緊張感がある。なんでもかんでも見せればいいというわけではないから。

オライカート:あるいは、画面の隅でちょっと見せるとか。

内海:たぶん幻覚を見ている。ああいうのって、私たちの普段の生活でも、眠かったりつらかったりすると不思議なものを見たりするじゃない。それは霊現象でもなんでもなく、自分がとっちらかっているだけなのよ。そのとっちらかっている感じを、悲しみとともに表現してくれている気がする。

増田:そういえば、途中で長男の視線に変わりますよね。教室で頭をガンガン打ち付けるあたりから。

内海:そうそう、あれも遺伝なのよね、歪みが。そもそもそういう素質を持っているのに、さらにあおって、そっちの方へ追い込んでいくのよね。

増田:あのチャーリーの舌か喉を打ち鳴らす音はなんなんでしょうか。

オライカート:気味の悪さを高める演出ですね。

内海:あれは大事な要素よ。自分じゃない人がそばにいるということのネタ晴らしですよ、誰がやっているのかという。

増田:最終的にはみんなやっている。

内海:それが俗にいうところの霊的現象の正体。『パーソナル・ショッパー』でオライカートさんと話したけれど、水道の蛇口がどうのこうのという話。あれも全部、彼女がやっているのよ。映画のスタッフのつもりでもう一回見たいなという気がしましたね。

増田:オープニングシーンの、屋敷にズームして接近して、パーンして、部屋をなめるようカメラワークからして、すでに手のひらで踊らされてるみたいな感覚だった。第三者的に、天井から眺めている人がいて、その視線はアニーのものなんだろうなって思うと、凄く腑に落ちました。

内海:ミニチュアハウスから滑らかに入ってきて、今は映像技術が凄いんだな、どうやってやったんだろうなって思いましたね。

オライカート:あまりにもスムーズでね。

睥睨している誰かの目

増田:騙されないように、って疑ってかかるよりは、第三者の目で描かれているってことを自覚すると、すごく面白くなると思います。

オープニングシーンから、睥睨している誰かの目があるってことを自覚したとたんに、見る人の目線が変わって来る。それに気づくか気づかないか。そうなると、内海さんの言うように、もう一度見たくなるタイプの映画ですよね。睥睨の視線をどこまで感じ取れるか。

内海:あのお母さんたちは病気だと思うけれど、お母さんたちのことがわかるんですよね。ああいう病気は持っていないと思うけれど。誰もがみんな、ほんの少し狂っているという言い方があるけれど、それを少し自覚させる。突拍子もないことはできないけれど、なんとなくあなたの中にも、そういう何かがありませんか? という問いかけにグッとくるものがある。

オライカート:それは感じました。

増田統/内海陽子オライカート昌子)

ヘレディタリー/継承 作品情報

(C)2018 Hereditary Film Productions, LLC
2018年11月30日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
監督:アリ・アスター
出演: トニ・コレット(アニー・グラハム)、アレックス・ウォルフ(ピーター・グラハム)、ミリー・シャピロ(チャーリー・グラハム)、アン・ダウド(ジョーン)、ガブリエル・バーン (スティーブ・グラハム)
イギリス/2017/110分
配給:ファントム・フィルム
公式サイト http://hereditary-movie.jp/

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